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もしかして「境界性人格障害」?? [メンヘル]

だいぶ古い本(1991年発行)なのですが、自分の心の問題を解く鍵のひとつとして非常に参考になりそうな解説を見つけたので、それを記しておこうと思います。

「心理学なるほど事典」(榎本博明 監修)

この本の「境界例(ボーダーラインケース)」の解説を読んで、自分の状態が非常によく説明されていると思いました。
まず、基本的な定義の説明を要約します:

神経症=
心理的な葛藤やストレス、劣等感などが原因で起こる心の病気。現実感覚は失われず、現実は現実、空想は空想という自覚がある。

精神病=
心理的な要因は明らかではなく、当人は自分が病気であるという認識を欠いている。

一応このような区別(定義)があるものの、現代社会ではその違いを明確にできない症状が増えている。すなわち、一方でうつ病の軽症化(例えば仮面うつ=うつ病特有の症状は明確でない代わりに、うつ症状の仮面として身体症状が前面に出る)があり、なおかつ精神分裂病(今でいう「統合失調症」)の軽症化もあり、神経症と精神病の区別(境界)を見分けることが難しくなっている。そのような症状を、「境界例」と呼ぶ。

その先の解説は、そのまま引用します:

境界例のひとびとは、一見まったく正常で、それどころか社会人としての能力や評価も高いのに、ある局面では精神病のような問題行動を起こすのが特徴です。ときどき不安や憂うつ、また妄想などが起こることもあり、精神病を思わせますが、これが短期間でもとにもどってしまいます。だから、おかしいということは身近なひとでなければ分かりません。
境界例は主に青年期後期の病気で、学生の無気力症や女性に多い拒食症などのなかに境界例のものがあります。しかし、青年期の問題がそのまま持ち越されて、中年期に境界例のような症状をみせるケースも少なくないようです。
境界例の人々の人格特徴は、「かのごとき人格(アズ・イフ・パーソナリティ)」という、外見と内面が異なる(みぽぽ注:他人に見せている作られた自己イメージと本来の自己イメージとの落差のことを言ってるんでしょうね)ゆがんだ人格のタイプであるといわれています。一見、状況に適応した言動を示すかのように見えますが、実は他者との心の通いあいをもちません。情緒的に安定した関係を発展させることができず、表面だけで順応したような関係に終始する人格ということです。
(引用おわり)

実は、以前「境界例」と呼ばれていた症状を現在では「人格障害」と呼び、さらにそれが細かく定義されています。現在の定義に慣れてしまった眼で見ると、だいぶ古くさいかな、と思われる言い回しが見受けられるかもしれません。まあなにしろ20年近く前に書かれたものですしね。しかし、上記の非常にコンサイスな説明が私にとっては結構「言い得て妙」と感じます。定義が細分化されたということは、一見親切でわかりやすいように思いがちなのですが、その分、「何が何でもこれらのうちのどれかに当てはまるはずだ」という思い込みが生じやすくなるような気がするのです(あえて大袈裟に言えば)。つまり、ケース・バイ・ケースの臨機応変な診断と治療が難しくなるのではないかと思います。

私個人の問題に限ってみた場合、改めて思うのは、自分は「回避性人格障害」に当てはまるのではないか、と暫定的に設定してみたものの、実は、できれば「境界性人格障害」には分類されたくないなあ、という願望が、ちょっぴり、いやかなりあったため、消去法で判断したら「回避性人格障害」が残った、という程度のものなのです。

しかし実際は、私はもともと「境界性人格障害」の要素が強くあり、そのなかでも特に人との関わりの問題を最も強く自覚しています。それを主観的に分類すると「回避性・・・」ってことになるのかな、と一応納得してみたまで、ということに過ぎないと、ちょっとわかってきました。

「境界性人格障害」の定義は、以前は非常に受け入れにくい、と感じたのですが、改めて新しい視点で見てみると、いやいやながら受け入れざるを得ない、と思ったりします。それは、自分の心の問題が思春期における経験に根差していると考える時、向き合いたくなくてもどうしても向き合わなくては今より前には進めないだろう、と思い当たるフシが、その定義にはあるからです。

なお、単に「人格障害」と言っている場合でも、「境界性人格障害」を差していることが多いらしいです。これは、そもそも以前「境界例」と呼ばれていたものが「人格障害」と呼ばれるようになったから、とのことです。しかしながら、同じ「境界」という言葉を使ってはいるものの、現在では「神経症」と「精神病」の境界、という暫定的な、一時避難的な定義ではなく、固有の概念を持つ定義に発展したものなので、一応別のもの、ということのようです。・・・ややこしいなあ。
(参照:「人格障害かもしれない」磯部潮 著)

いや、それってつまり、「境界例」が「人格障害」になって、それを更に細分化してみました、で、そのうちのひとつが「境界性人格障害」であり、「人格障害」の中核をなすもの、っていう理解じゃだめなの???
すなわち「境界例」≒「境界性人格障害」・・・やっぱりだめ???

そんなこんなで、20年近く前に出版された本の「古くさい」解説が、意外と役に立ったりするのですね。
私の場合はとりあえず、自分のことがより良く理解できればいいだけなので(って、そんな簡単なものではないですが)。

定義を細分化し始めると、取りこぼしが生じる可能性もあると思います。
で、それをしないように更に細分化してるつもりが、永遠に網にかからないままそれでも不調や違和感を訴える人っていうのはたぶん後を経たないでしょうね。
どうやら私って、そういう「網」にかかりにくいかなり変わった人なんだろうと思います(苦笑)
だったら自分でどうにかするしかないじゃん、とか思ってしまうんですね。
そして、意外と直感に頼ってみた方が答えが見つかりやすい気がするのです。
さんざん語っておいて、結論は「直感」かよ?!
ま、世の中そんなもんです(謎)

ちなみに、現在の細分化された診断基準については、従来ならその人の個性という範囲で捉えられる程度の性格上の特徴までもを問題視してしまう懸念についての指摘があることも付記しておきます。
定義そのものの問題と、定義に関する解釈の問題と、両方考える必要がありそうです。


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